2020/02/03(月)「内燃機関は死なない」水素活用へ研究者らが起業

「内燃機関は死なない」水素活用へ研究者らが起業

水素自動車関連の開発を見てるといっつも不思議に思うのが、EVはCO2排出するが水素は発生しないという論調である。

どうやって大量の水素を供給するつもりなんでしょうね。水の電気分解なんだったらEVと同じ。ガスの精製だって精製にエネルギーがかかりすぎるし、化石燃料使ってる時点ですぐに枯渇するのは目に見えているわけで、既存のものに比べて何もメリットが無い。

そもそも水素のメリットって、貯蔵が電気に比べて容易であることなんでしょ。その代わり出力も小さいし、イニシャルコストが大きいデメリットがある。

EVとFCVは競合ではなくて、組み合わせかつ棲み分けなんだと。もっとそれを全面に打ち出さないと駄目なんだと思う。(たぶん開発の人は100も承知の話で、偉い人から記者を通して記事になった途端におかしなことになってるんだろうなぁ)

2020/01/04(土)ニュースコメント 産業構造の変化捉えた高等教育に

[社説]産業構造の変化捉えた高等教育に

IT人材やAI人材の育成が急務だと様々な場所で言われており、この記事もその一つなのだが、育成すべき人材がどういうものを指しているのか全く書かれていないし、そもそも論旨がよく分からない。

記事の中で見習うべき例として出てくるのは爆発的な成功を収めたgoogleやApple、facebook、アマゾンといったいわゆるGAFA、ウーバーやalibabaのような大きく成功した企業である。これらの企業はごくごく少数の優秀な技術者や経営者、出資者がリスクを負って起業し、運を味方につけ成功してきたというストーリーで語られている。それでは、こういった人材をどんどん育成すれば日本の将来は明るいのだろうか?

これらの企業の事業活動を注意深く見てみると、そのごく少数の起業メンバーだけで事業が成立するものは存在しない。google やfacebookでは教師データを作成し、ゴミデータを手動で除去している者がいるし、Appleなら工場でiPhoneを生産しているものがいる。アマゾンやalibabaなら倉庫番や配送しているものがおり、ウーバーならタクシー運転手が必要である。これらの人員は圧倒的に本体よりも多く、彼ら無しでは事業が成立しない。船頭多くして船山に登るという言葉があるように船を漕ぐためには船頭が多くしても駄目で、多くの漕手が必要なのである。

一方で教育をする最大の理由は国民を食わしていくことにある。つまり、働き口の需要と供給を一致させることが必要になる。このような観点から考えると、国民の80%が受ける高等教育で育成を行っていく必要があるのは船頭よりも漕手である。

では、どのような漕手が必要になってくるのか。今、教育を受ける15歳が戦力として働く30代から60代というのは15年後から45年後である。この変化の激しい時代において即戦力となる人材を育成することは、先を見通すことは容易ではないので見通しを誤った時のリスクが大きい。

なるべく成功した人材育成を行う1つの方法は多様性を確保することである。つまり、可能な限り様々な技術を持った人材を育成し、どのような技術が必要になっても対応できるようにしておく。もう1つの方法は柔軟な人材を育成することである。つまり、必要な技能が明確になってからキャッチアップすれば良いのである。この2つの方法を並行して行うことで不確定な時代においても将来に渡って必要な人材を供給できるようになる。そのためには、基礎的な教養をしっかりと教え込み知識技能を習熟する素地を作っておくこと、それから多種多様な専門的知識を教える制度を充実させること、さらには働き出してからであっても再度勉強に戻ることを容易とする制度を作っていく必要がある。

そして、何より大切なことは、そういった柔軟な人材を企業が高く評価することである。伝統的な日本企業では同質性を持つ人を高く評価し、他と違う人を低く評価する傾向にある。口では新しい技術を取り込めと言うが、実際に取り込もうとすると余計なことをする、仕事のできない人間と評価するのである。当然、極力同質な人間を集めると組織運営において頭数のみを考慮すれば良いので管理は楽になる。ところが、このような企業はどんどん多様性を失うため、環境の変化に対してもろくなってしまう。また、同質性に適合する人間しか業務にあたれないので、人員コストが増大してしまう。売り手市場だった時代にはそのようなやり方でも十分に人が集まったのだろうが、これからは全く異なる。このようにある程度多様性をもたせた組織運営ができないと、労働者や市場から見放され淘汰されてしまうのだ。

このように考えるとIT人材やAI人材の育成が急務なのだろうか。育成が急務なのは多様な人材と、時代の流れにキャッチアップできる教養であろう。人材育成は時代の流れに流されるのでは無く、バランス良くやっていく必要がある。これは古くから言われていることであり今後も変わることがない。