2020/01/04(土)ニュースコメント 産業構造の変化捉えた高等教育に

[社説]産業構造の変化捉えた高等教育に

IT人材やAI人材の育成が急務だと様々な場所で言われており、この記事もその一つなのだが、育成すべき人材がどういうものを指しているのか全く書かれていないし、そもそも論旨がよく分からない。

記事の中で見習うべき例として出てくるのは爆発的な成功を収めたgoogleやApple、facebook、アマゾンといったいわゆるGAFA、ウーバーやalibabaのような大きく成功した企業である。これらの企業はごくごく少数の優秀な技術者や経営者、出資者がリスクを負って起業し、運を味方につけ成功してきたというストーリーで語られている。それでは、こういった人材をどんどん育成すれば日本の将来は明るいのだろうか?

これらの企業の事業活動を注意深く見てみると、そのごく少数の起業メンバーだけで事業が成立するものは存在しない。google やfacebookでは教師データを作成し、ゴミデータを手動で除去している者がいるし、Appleなら工場でiPhoneを生産しているものがいる。アマゾンやalibabaなら倉庫番や配送しているものがおり、ウーバーならタクシー運転手が必要である。これらの人員は圧倒的に本体よりも多く、彼ら無しでは事業が成立しない。船頭多くして船山に登るという言葉があるように船を漕ぐためには船頭が多くしても駄目で、多くの漕手が必要なのである。

一方で教育をする最大の理由は国民を食わしていくことにある。つまり、働き口の需要と供給を一致させることが必要になる。このような観点から考えると、国民の80%が受ける高等教育で育成を行っていく必要があるのは船頭よりも漕手である。

では、どのような漕手が必要になってくるのか。今、教育を受ける15歳が戦力として働く30代から60代というのは15年後から45年後である。この変化の激しい時代において即戦力となる人材を育成することは、先を見通すことは容易ではないので見通しを誤った時のリスクが大きい。

なるべく成功した人材育成を行う1つの方法は多様性を確保することである。つまり、可能な限り様々な技術を持った人材を育成し、どのような技術が必要になっても対応できるようにしておく。もう1つの方法は柔軟な人材を育成することである。つまり、必要な技能が明確になってからキャッチアップすれば良いのである。この2つの方法を並行して行うことで不確定な時代においても将来に渡って必要な人材を供給できるようになる。そのためには、基礎的な教養をしっかりと教え込み知識技能を習熟する素地を作っておくこと、それから多種多様な専門的知識を教える制度を充実させること、さらには働き出してからであっても再度勉強に戻ることを容易とする制度を作っていく必要がある。

そして、何より大切なことは、そういった柔軟な人材を企業が高く評価することである。伝統的な日本企業では同質性を持つ人を高く評価し、他と違う人を低く評価する傾向にある。口では新しい技術を取り込めと言うが、実際に取り込もうとすると余計なことをする、仕事のできない人間と評価するのである。当然、極力同質な人間を集めると組織運営において頭数のみを考慮すれば良いので管理は楽になる。ところが、このような企業はどんどん多様性を失うため、環境の変化に対してもろくなってしまう。また、同質性に適合する人間しか業務にあたれないので、人員コストが増大してしまう。売り手市場だった時代にはそのようなやり方でも十分に人が集まったのだろうが、これからは全く異なる。このようにある程度多様性をもたせた組織運営ができないと、労働者や市場から見放され淘汰されてしまうのだ。

このように考えるとIT人材やAI人材の育成が急務なのだろうか。育成が急務なのは多様な人材と、時代の流れにキャッチアップできる教養であろう。人材育成は時代の流れに流されるのでは無く、バランス良くやっていく必要がある。これは古くから言われていることであり今後も変わることがない。

2019/11/11(月)ニュースコメント「福島第1廃炉 東電は人手不足? 募る規制委の懸念:日本経済新聞」

福島第1廃炉 東電は人手不足? 募る規制委の懸念:日本経済新聞

そもそも電力会社も基本的に馬鹿じゃないから、何か起きたときに色んな意味で被害を被るのは自分自身ということは十分承知している。にもかかわらず色んな所で色んなほころびが出ている。これは原子力規制委員会のゼロリスク信仰が原因である。本来、リスクというものは必ず存在しているもので、減らす努力は必要なもののゼロにすることは不可能である。

ゼロリスク信仰がはびこっていると、ルール作成者は知り得たリスクについて全て排除できるようにルールを強化しようとする。しかし、ルール作成者は全てのリスクを知り得ることは不可能で、残存するリスクは必ず存在する。その結果、ある方向には厳しいが別の方向には甘い、実態に合わないルールの出来上がり。

守るコストはルールの厳しさに比例するが、ルールを守った時のリスクは残存リスクに相当するので、メリットに対してコストが大きくかかっていることになる。電力会社は、ルールによるコストを直接負担しメリットを直接享受する立場である。絶えず改正され、強化されるルールにキャッチアップするとなると、コストは天井知らずで上昇する。にもかかわらず残存リスクは減少しない。ルールを守るインセンティブが働かないだけでなく、現場の人間がルールを改善しようというインセンティブも働かなくなる。この状態をルールに対する信頼性が低いという。

本来あるべき姿というのは、許容可能リスクを定義し、それを超えるリスクについてルールを定めるというものである。許容可能リスクの定め方は、基本的には社会的に考えるべきであるが、現状と大幅に異なる場合はまず現状をベースに整理すべきである。

福島第一原発を振り返ってみると、まず原子力規制委員会の無策ぶりが目につく。何故なら、どの程度のリスクを許容するかという理念を明確にしていない。さらには活断層の騒動にもあったようにリスクを正確に見積もるための能力も持ち合わせていない。規制する立場でありながら、規制に対する理念も教養も無いのである。当然、電力会社側はそんな組織が作ったルールなんて守れるわけ無いですよねというお話。

2019/03/22(金)ニュースコメント_2019/03/22

大阪知事選 辰巳琢郎氏擁立へ 自民、他党と連携探る4月7日投開票の知事・市長のダブル選に、自民党が俳優の辰巳琢郎氏(60)を知事選候補として擁立する最終調整に入った。

大阪知事選 辰巳琢郎氏擁立へ 自民、他党と連携探る(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

こんなことしてるから大阪の自民党はいつまでたってもダメなんですよ.ちゃんと大阪のことを考え,都市が発展していき,市民の生活が豊かになるためには何が必要かを考えていかないと.

大阪都構想は行政的には全くいい案ではないけれてども,橋下徹はたかじんの番組をはじめ色々なところで大阪をこうしていきたいというのを熱く語っていて,大阪市民はそこに共感したから投票したわけです.国も大阪市民の熱気に押されて「大都市地域における特別区の設置に関する法律」なんてものも作ったんですよ.

当時の大阪は地盤沈下が激しく,なんでも東京のいいなりで人口もどんどん減っていくお先真っ暗な状態だった.にもかかわらず自民党の大阪府連は何もしてこなかった.橋下徹が知事と市長になって,大阪都構想を打ち出したことで大阪の政治に活気が戻ったのは明らか.大阪の影響力が増えたんですよ.どこかの小池知事とは大違い.

自民党がもし政権を取ろうとする気があるなら,大阪都構想に反対ではなくて,大阪をどうしていきたいかということを考えたほうがいいと思う.民進や共産なんかと組まずに.