2019/11/11(月)ニュースコメント「福島第1廃炉 東電は人手不足? 募る規制委の懸念:日本経済新聞」

福島第1廃炉 東電は人手不足? 募る規制委の懸念:日本経済新聞

そもそも電力会社も基本的に馬鹿じゃないから、何か起きたときに色んな意味で被害を被るのは自分自身ということは十分承知している。にもかかわらず色んな所で色んなほころびが出ている。これは原子力規制委員会のゼロリスク信仰が原因である。本来、リスクというものは必ず存在しているもので、減らす努力は必要なもののゼロにすることは不可能である。

ゼロリスク信仰がはびこっていると、ルール作成者は知り得たリスクについて全て排除できるようにルールを強化しようとする。しかし、ルール作成者は全てのリスクを知り得ることは不可能で、残存するリスクは必ず存在する。その結果、ある方向には厳しいが別の方向には甘い、実態に合わないルールの出来上がり。

守るコストはルールの厳しさに比例するが、ルールを守った時のリスクは残存リスクに相当するので、メリットに対してコストが大きくかかっていることになる。電力会社は、ルールによるコストを直接負担しメリットを直接享受する立場である。絶えず改正され、強化されるルールにキャッチアップするとなると、コストは天井知らずで上昇する。にもかかわらず残存リスクは減少しない。ルールを守るインセンティブが働かないだけでなく、現場の人間がルールを改善しようというインセンティブも働かなくなる。この状態をルールに対する信頼性が低いという。

本来あるべき姿というのは、許容可能リスクを定義し、それを超えるリスクについてルールを定めるというものである。許容可能リスクの定め方は、基本的には社会的に考えるべきであるが、現状と大幅に異なる場合はまず現状をベースに整理すべきである。

福島第一原発を振り返ってみると、まず原子力規制委員会の無策ぶりが目につく。何故なら、どの程度のリスクを許容するかという理念を明確にしていない。さらには活断層の騒動にもあったようにリスクを正確に見積もるための能力も持ち合わせていない。規制する立場でありながら、規制に対する理念も教養も無いのである。当然、電力会社側はそんな組織が作ったルールなんて守れるわけ無いですよねというお話。