2019/06/24(月)G20のセキュリティー
先週くらいからG20に向けて検問とか色々始まっている。どこかの国の首脳が泊まるであろう高級ホテル周辺では至るところに検問がひかれ、厳戒体制と言える状態となっている。ところが、よくよく見てみると警備が結構ザルなんじゃないかという疑念が拭えない。
例えば、検問では、バリケードの100m手前に監視員が立っていて特定のパターン(詳細は隠します)に該当する車を停めて検査している。逆に言えば、特定のパターンに該当しなければ一切止められることはないということだ。実際、私はある検問所を何度も通過しているが一度も止められたことがない。ところが、別の検問所は必ず引っかかるのだ。
これは、検問突破に解法が存在することを意味している。つまり、悪意ある組織が調査をすれば、検問の意味が無くなってしまうのだ。当然、住民としてテロ等は未然に防いでほしいし、起こってほしくない。現状の警戒が単なる予行演習であり、本番になれば警備パターンが実効的なものに変わるとおもいたい。
2019/02/13(水)問十二,夜空の青を微分せよ.街の明りは無視してもよい
TVでプレバトという芸能人が俳句を作り順位を競い合う番組を見ていてふと思い出した短歌がある.(短歌と俳句では全然違うのだが...)
問十二、夜空の青を微分せよ。街の明りは無視してもよい 川北天華
この短歌をはじめて見た時,きれいな情景が浮かび上がってきて感動したのを覚えている.本来,こういう作品の解釈みたいなものを書くのは野暮なことかもしれないが,いくつかある首評がどれも自分にとっていまひとつ足りていない気がしてならず,もったいない気がしてならないので書いてみたいと思う.
まず,夜空の青というのはどういう意味か.通常,夜空というのは青ではなく黒だと思われるかもしれない.しかし,夜に至るまでの空の色というものをよくよく見ると実は空は青い.夕方になり日没が近づくと太陽とその周りの空は徐々に赤くなっていき,そして日が沈むと赤が抜け白になり,青くなり,暗闇になると星が輝きだす.作者の言う夜空の青とはこの日没から暗闇に至るまでの間,専門用語で言うと「薄明」のことを言っているのだろう.
そうすると続きの微分の意味がすこしわかってくる.薄明の時間というのはものすごく短いのだ.その間に同じ青でも明るく薄い青から暗くて深い青へとダイナミックに変化していく.微分とは数学的な定義に基づくと勾配,つまり変化の割合の事をいうのであるから,「夜空の青を微分せよ」というのは薄明における空の色が変わっていく様を極めて緻密に表現した結果なのである.
ここまでの話はほとんどの首評にも同様のことが書かれている.ところが,この薄明時の空というものをもう少し注意深く見てみるともう少し違ったことに気づく.実は空の色は一様ではない.いわゆる夕焼けのように一度赤に染まり,青くなっていくのは太陽の沈む東の地平線に近いところだけなのだ.空の高い所や,北や南の空というのは青空から赤になることなく徐々に深い青になっていく.また,西の空は一度暗い赤に染まるが,太陽から遠いこともあり色が抜けるとそのまま暗闇に落ちていく.これらはレイリー散乱とミー散乱の散乱分布や波長依存性からも説明されるがここでは説明しない.このように一言に夜空の青といっても見ている方角や高さによって全く違う色をしている.よって微分を時間的だけでなく空間的な意味でとらえることもできる.
下の句の「街の明かりは無視してもよい」は夜空の青を微分するにあたって街の明かりが邪魔であることを表している.通常,数学の問題で~してもよいというのは~しないと問題が解けないというのがお約束である.つまり,夜空の青というのが街の明かりを無視しないとわからないような深く黒い青であるということが連想される.
最後に問十二である.なぜ十二であるかについては色々考えられるが,個人的には黄道12星座からきていると思う.黄道とは空における太陽の通り道の事である.太陽は星々の中を移動しているように見え,1年間で1周する.1年が12か月というのはこの黄道12星座からきており,12というのは1年を連想させる.実は薄明というのは1年間で長さが変化し,春や秋の薄明は短く,夏の薄明は長い.「秋の日は釣瓶落とし」という諺があるが,実際に1年で最も短いのが秋なのである.微分というのは様々な定義があるが,連続したものだけでなく離散的なものに対しても適用することができる.つまり,この十二からは日々変化していく薄明と1年の季節変化が連想させられる.
以上のように,この短歌には薄明という光景を詠うとともに,薄明というものがどこまで想像し思い描けているのかという,聞き手の観察眼が問われる難問のようにも思う.
2019/01/05(土)暗記勉強
資格試験が迫っている。今日は試験勉強をやっていたのだが、ここ数年、いわゆるテストに向けて勉強するということは無かったので、すっかり勉強のやり方というものを忘れてしまった。
とりあえず、練習問題を解いてみるもののさっぱり解けない。知識を問われるのだが知らないので答えられない、つまり解けないというよりも覚えていないのだ。解説本を見てみても、語句や数値が羅列してあるだけで何も解説になっていない。読みづらさをこらえながらいやいや勉強していた。
日も暮れた頃、こういう場合はどうしてたかなと思い起こすと、ひたすら練習問題を解いて条件反射的に答えが出てくるようにするのがベターだったことを思い出した。慌てて暗記用に赤ペンと赤下敷きを買いに出かけた。
赤下敷きで消える赤ペンはどれだったかと、受験勉強をしていた頃の記憶を辿る。JET STREAMのような一般的なボールペンは油性なので、赤下敷きを被せたときに薄っすらと影ができてしまうのだ。一番いいのはピンク色の0.38mmのsigno だったのを思い出した。
文具屋の前についたら閉まっていた。そういえば世間は正月休みだと思いながら100円ショップに向かう。ボールペン売り場に行くとパステルカラーの特殊signoしかない。水性ボールペンなら他のものでも行けるだろうかと悩んでいたら、別の売り場に並べられているのを見つけた。
家に帰ってきて準備万端。これから本格的に勉強をはじめるところだ。そういえば、勉強というのはいつも準備に時間がかかっていたことも思い出した。学生の頃から何も成長していないようだ。
2019/01/04(金)新年初休日出勤
昨日は新年初出勤で今日は新年初休日出勤.こんなに忙しいのはたぶんうちの職場だけだろう.うちの会社は一定時間までは残業代をくれることになっているが,今月はその一定時間を早々に超えてしまいそうだ.
うちの職場の問題点は山ほどあって(以下略...
こういうことは一つ一つ解消していかなければならないのだが,解消のための初期投資をする余力が残っていないのが現状である.
2019/01/02(水)猫バンバン
今日は車でお伊勢さんまで.朝早くに出発したためそこまで大きな混雑に合うこともなく無事にお参りすることができた.
さて,昼食を食べ車に乗り込もうとしたところ,何か影が車の下に入り込んでいったのが見えた.車の下を覗いてみたところ案の定猫が隠れている.そういえば猫バンバンというのをどこかで聞いたことがあったと思い,車をたたき追い出してから出発した.
その後しばらく順調に国道を走っていたところ,集落の中あたりの道のど真ん中で1匹の猫が横たわっていた.はじめは死んでいるのかと思ったが,クラクションを鳴らしてみたらむくりと起き上がって少し歩き,すぐにごろんと昼寝を始めた.
仕方ないので横を慎重に走り抜けようとソロソロと走っていたところ,ちょうど真横を通ったあたりで猫の影が消えてしまった.やばいと思って車を降りて確認すると車の下で思いっきり寝ている.どうやら車の下が暖かかったので飛び込んでしまったようだ.とりあえず轢いていないことが分かったので安心した.
だが,この猫はしぶとく車体をバンバンしただけでは全く動く気配を見せない.車に積んでいた傘でツンツンしたけどやはり動かない.無理やり傘で端っこに引きずり,すかさず対向車の運転手のおばちゃんがしっぽをつかむと路地裏へ強制退去してくれた.その瞬間の嫌がりようが割と本気だったのでちょっとかわいそうだった.後のことはわからないが車に轢かれていないことを祈るばかりである.
新年早々こんな短期間で2回も猫に遭遇するとは...猫か何かにとりつかれたのかもしれない.